| 経歴 |
- 兵庫県で、保育所から、高校まで歩いて通う。
- 1976年 大学進学時に、花の都、大東京に住むつもりが、勢い余って、千葉県に住むことになる。
- 大学卒業時、パチプロを目指すも、とりあえずということで、埼玉の金型製作会社に就職。
仕事に飽きたので、5年で退職。
- 1985年 語学留学という名目で、一ヵ月半オーストラリアのシドニーに滞在。
- 帰国後埼玉の金型を作っている町工場に勤める。
初出勤の日、定時に行くと、誰も来ていなかったので、その日は休みかと思った。
次の日から先輩の皆さんに出勤時刻を合わせる。
- ふと、日本語教師になろうと思い立ち、
日本語教師養成コース 教授理論課程と、専門実習コースを二年間、会社を午後に早退して、受講する。
新宿にある日本語学校の教員試験を受け、合格するが、あまりの給料の安さに愕然として、辞退する。
- 1988年 町工場を退職する。
「やめられたら設計する人がいなくて困る。」
「何もしていないんだったら、家で設計してよ。」
特にすることもなかったので、ご要望にお答えして、金型設計の仕事を請ける。
ほかの金型メーカーからも注文が入り、大塚金型設計事務所として、自営業が成り立ってしまう。
- 少し設計の仕事に飽きてきたころ、
「タイに仕事に行かない?」
と知り合いから電話がある。
面白そうだったのでその話に乗る。
- 1989年 国際協力事業団(現、国際協力機構)JICAの専門家としてタイの金型プロジェクトに参加する。
初めてタイに渡る。
任期は11ヶ月。
- 任期を終え、日本に戻り、以前からの設計の仕事を再開することにしたが、手で図面を書くのは面倒になってきたので、当時800万円以上もしたCADシステムを買う。
- 1990年 タイが懐かしくて遊びに行く。
「もう一度タイに来ない?」
と誘われるが、日本の仕事もあったので断ろう、と思ったが、タイに来たかったので、三ヶ月の契約で、再び、国際協力事業団の専門家としてタイに赴任する。
- 帰国後、設計の仕事を続ける。
- 1991年 「大塚君、時間ある?」
「なんでしょう」
「今度上海で金型プロジェクトやるから、日本の国内委員会の委員になってよ。」
「いいですよ」
というわけで、
金型プロジェクトの国内委員を五年間勤める。
その間、上海にも、専門家として、六ヶ月滞在する。
上海の
復旦大学の女子学生の家庭教師に中国語を教わる。
- 帰国後、スミダ中小企業センターという、墨田区のお役所で、二年間、技術相談員という仕事もする。
- そのころ久しぶりに、タイ工業省に務めるタイ人の知り合いから電話がある。
「誰かタイで金型教えてくれる人いないかな。」
私が行くことにする。
- 1996年 から二年間、海外貿易開発協会JODCの専門家として、
アユタヤのローカルの金型会社に技術指導に行く。
普段仕事は英語でコミュニケーションしていたが、タイ語を勉強する必要に駆られて、バンコクのタイ語学校に電話する。
「そちらでタイ語の先生を家まで派遣してくれるんですよね。」
「はい、だいじょうぶですよ。家はどこですか。」
「アユタヤです。」
「アユタヤ? ハ ハ ハ 無理です。」
タイ語の勉強、あきらめる。
- 1998年 任期が終わり、路頭に迷いそうになったとき、アユタヤの日系の会社に拾われる。
何の因果か、一緒に住んでいたタイ人の女の子に子供ができ、
あわてて結婚式をして、籍を入れる。
- 1999年タイで再び、
国際協力事業団JICAが金型のプロジェクトをするということで、日系企業を退社し、またまた、国際協力事業団の専門家として、タイに住むことになる。
バンコクに住んでいたので、今度こそ、タイ語の勉強をする。
- 2002年 三年間の任期が終わり、またまた路頭に迷いそうになったとき、
プラスチックの成型とか、金型製作をやっているタイの会社の社長から、金型工場の面倒を見てほしいと依頼される。
金型工場の面倒なんて、私には見られないので、設計と、NCプログラムの面倒だけね。
ということで、合弁で、Otsuka Mold Design Co.,Ltd.を設立する。
- 一年半やってみたが、全然儲かる気配がないので、会社をたたむことにする。
- 会社をたたむと、私がタイに住み続けられない。
自宅に、家内が勝手に買ってきた、タイ雑貨が飾られているのを見て、日本の皆様に紹介したいと思い、
2004年 新たに、Sin Phothong Co.,Ltd.という会社を作り、タイ雑貨のネット販売をすることにした。
が、タイからのEMSの送料値上げ等により、タイから直接送るというのは難しいと考えつつある。
- このような事もあろうかと、Sin Phothong Co.,Ltd.の業務内容に、Otsuka Mold Design Co.,Ltd.で行っていた金型関係の設計とかコンサルの仕事を、盛り込んでいたので、現在は、タイ雑貨の販売は保留として、以前と同じように、金型の設計をしている。
|